キリスト教はすべてを、『神』と『聖霊』と『子』と『天使』と『悪魔』によって集約した『聖書』により、教会の権威を確立して人民を縛り、弾圧や迫害がなされました。
仏教は『諸行無常』、『諸法無我』という思想から、寺院と僧を維持するために無量の非生産階級の人間を生み、無量の浄財を求めた。
民の意思は弱体化して、更に『霊魂の因縁』に恐怖し、『現実否定』の思考により諦めの思想を人に植え付けた。
支那の『道教』や『儒教』は、帝国主義の土壌となり大衆愚民化をおこない、戦乱をもたらして非道義極まりない国家と化したのであります。
このように宗教とは、良かったことより悪かったことの方が多いのです。
精神主義一辺倒の教えは、このような愚かな道をたどることが多いのであります。
神道は宗教ではありませんから、『生々化育』、『生成輪廻』、『修理個性』、と常に新陳代謝を繰り返し現実を重視し、『曽我一如』、『顕幽一体』、『是身即神』という思想を生んだのです。
昔、鞍馬寺の信楽香雲師がおっしゃっていました『宗教という言葉を改めなければいけない』と!。