宗教家や哲学者の世界では定番とも言える命題です!
長年考えても答えが出ないんですよ!
彼らでは?
だって所謂『二元論』的思考から離れられないから!
それは即ち、な~ンも変化ないと言うことなのです。
そこで誰でも分かる解答をいたします。
我々受肉した肉体を持った存在は、他の生命を食べて自らの命を繋いでいくことでしか生きていく事はできません。
更に、生きていくためには他人との関係において、自己の優位と保身をしなければなりません。
この世界に於いては、富の分配は需要と供給の比率は明らかに供給がたりませんから、平等に万民に行き渡らないのです。
その為、持つものと持たざるものが当たり前に生じてしまうのです。
またこの肉体は、本能という生理的な作用が、自らを優先して生きていく(生き残る為の)働きを行います。
食欲、睡眠欲、性欲等など生体を維持する為には必要不可欠な働きです。
誰もこれを否定することはできないと思います。
この世で生命を持った存在が、生きていくためには性悪説が当たり前なのですね!
この事を『無明』と言います!
但しこれを当たり前として、これを認めてそのように行動していったら、この世は地獄です!
生きることは苦痛でしかなくなってしまいます。
然し私達の本質である霊体に於いては、全く異なる価値観が存在しているのです。
本来、自我(神我)には本能や生存欲等が無いのです。
その為、悩み苦しむことや、食べたり寝たりする必要が無いのです。
だから、霊にとって本来は、肉体の持つ欲望は一切不要なことなのです。
この事から理解できると思いますが、肉体の存在である我々は、性悪説に従わざるを得ないのですが、かたや霊体の私である真我の目的は、霊格の向上と霊性の浄化にあるのです。
そう考えたとき、霊体の本質は性善説にあるという事が理解できるかと思います。
肉体の持つ欲望に霊が従う限り霊の本質である性善説に、辿り着く事は難し。